関本市の広大な敷地に、ガラスと緑が調和した所にISADAはある。その最奥部にある理事長室に通された我々を待っていたのは、静謐な空気をまとった青年、七五三掛俊哉氏(26)だった。
「私の顔など、記事には必要ありませんよ」。彼は穏やかにそう言い、取材中は終始、逆光になる位置か、パーテーション越しにインタビューに応じた。彼が設立したISADAは、通信技術からAIまで多岐にわたる特許を保有し、その収益で身寄りのない子供たちのための無償教育施設を運営している。
なぜ、そこまでして教育にこだわるのか。その問いに対し、彼は少しの間を置いて、自身の過去について語り始めた。「私には、幼い頃に両親を亡くし、その後、ある篤志家の元で育った経緯があります。そこで私は、学ぶことの喜びと、同時に『持たざる者』の悔しさを知りました」
彼の経歴には、英国遊学を経てISADAを設立したとある。しかし、取材の中で彼がふと漏らした言葉が印象的だった。「私の人生には、表に出せないがかけがえのない時間があります。ですが……その時に出会った友たちとの日々こそが、今の私を支える宝物なのです」
そう語る彼の視線は、手元の手帳からふと外れ、デスクの隅に向けられたように見えた。そこには、彼が大切にしていると思われる数冊の書籍と、スリープ状態から復帰したばかりのPCモニターが、静かに光を放っていた。影として生きた男は今、自身の名前で、子供たちの未来を照らそうとしている。